大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和26年(う)782号 判決

控訴人 被告人 細川清三

弁護人 渡辺大司 片山昇

検察官 西海枝芳男関与

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中百日を本刑に算入する。

理由

主任弁護人片山昇の陳述した控訴趣意は記録に編綴の弁護人片山昇、同渡辺大司及被告人作成名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから茲に之を引用する。

渡辺弁護人の控訴趣意第一、四点について

所論は要するに原審が弁護人に於て検察官作成の検証調書のうち被告人の指示供述記載部分を証拠にすることに同意しないのに拘らず右検証調書は勿論その調書中の被告人の供述記載部分をも証拠に引用しているが右は証拠能力のない証拠によつて事実を認定した違法があるというのであるが、証拠とすることに同意すると否とは書面の一部又は供述の一部についてもそれが可分的である限り許されるところ、原審第一回公判調書によると弁護人は検察官作成の検証調書中被告人の指示供述記載部分を除き其の余は証拠とすることに同意した旨の記載があり、また右検証調書によれば右被告人の供述記載は被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるから刑事訴訟法第三百二十二条により被告人又は弁護人において証拠とすることに同意しない場合でも証拠とすることができるのみならず、検察官に於て被告人の取調べに当り被告人に対し、あらかじめ供述を拒むことができる旨を告知したことは被告人の検察官に対する第一回供述調書の記載により明らかであり法は取調べの都度供述拒否権のあることを告知することを要求してはいないのである、その他被告人の右供述記載を被告人に読聞けたところ誤りのない旨申立て署名指印したことは右検証調書の記載により明白であるから、いずれも完全な証拠能力を有するものと認められるから、原審がこれを証拠に引用したからとて所論の如く証拠能力のないものによつて事実を認定したものということは出来ない、論旨はいずれも理由がない。

同上第二点について

しかし証拠の取捨選択は原審裁判官の自由な判断に委せられて居り其のいずれを真実に合致するものとして採用すべきかは裁判官の裁量によるべきものである、記録を査閲するに原審が被告人の原判示犯行を認定するに当り被告人に対する検察官作成の第一回供述調書を証拠として引用して居ることは所論のとおりであるが右供述調書が弁護人主張の如く強制、拷問又は誘導に基き作成されたものであつて任意に為された供述に基き作成せられたものでないとの点については本件記録並びに原審裁判所において取調べた証拠に現われている事実に徴するも之を認め難く、却つて右供述調書の内容を検討すれば逐一詳細に当時の事情を供述して居り毫も強制、拷問又は誘導により為された供述とは認めることが出来ない、従つて右供述調書は証拠能力に於て何等欠くるところなく、原審が之を罪証に供した点につき経験則に反する違法も存しない、所論は結局原審の証拠の取捨を論難し、又は原審の引用しない証拠に基き原判決の事実認定を攻撃するもので採用することはできない、論旨は理由がない。

同上第三点について

記録を調査するに原裁判所はその第二回公判において検察官の請求を容れて被告人の検察官に対する供述調書の任意性を確めることも兼ね検察官の被告人に対する質問及び、これに対する供述を録音した録音テープを録音機にかけて、これを再現聴取したことは所論のとおりであるが、録音テープを証拠書類と認めるか証拠物と解するかを決するの要は録音された供述の内容を証拠とする場合に、その取調方法をいかにするかに、かかるものと思惟される、そこで刑事訴訟法は通常予想される証拠方法について単に典型的な取調方式として証拠書類については朗読、証拠物については之を示すことを、規定したに過ぎないので録音された供述内容を明らかにするには朗読や展示では不可能で、その録音テープを録音機にかけて、それを再現する以外に方法はないのであつて刑事訴訟法はこの方法による取調べを禁ずる趣旨でないと解するを相当とすべきである。次に検察官の面前における被告人の供述を録音した録音テープを証拠とすることにつき被告人並びに弁護人の同意を必要とするか否かの点について案ずるに、その内容が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものである限り刑事訴訟法第三百二十二条の規定の趣旨に鑑み之に準じて同意がない場合でも取調べができるものと解するのが相当である、また被告人の供述が任意にされたものであるか否かを調査するには、全く事実承審官において適宜の方法により之を為し得べきものであるところ、その調査方法の一として被告人の検察官の面前でなした供述を録音した録音テープを再現して聴取するは洵に当を得たものというの外はない、何となれば録音テープに表現された部分については其の供述者によりそのとおりの供述がなされたことは一点の疑を挟む余地がないからである。なお右録音テープについて供述者たる被告人が任意にされた真の供述であるか否かの点については被告人は原審第二回公判において検察官の取調に当つて強制拷問等が行われなかつた旨陳述して居り記録を調査するも任意性を疑うべき事由は毫も存しない、されば原審が右録音テープそのものを罪証に引用したわけではなく、前示のごとく主として被告人の自白の任意性の調査方法として証拠調をしたものであることが窺われる本件の場合においては弁護人所論のような違法があるとは認められない、論旨は理由がない。

渡辺弁護人の控訴趣意第五点、片山弁護人の控訴趣意並びに被告人の控訴趣意について

所論は要するに原判決は証拠によらないで事実を認定し又予断偏見による鑑定人の鑑定の結果を罪証に供した違法或は事実誤認の違法があるというのであるが、原判示事実はその挙示する証拠を総合して優に認定可能であり、原判決挙示の証拠のうち証人村上次男の原審公判廷における供述は科学的立場から供述したものと認められるし同人作成の鑑定書四通もまた記録を精査検討するにいずれも予断偏見等によるものとは認め難い、所論はいずれも弁護人の独断或は控訴趣意として判断を与える価値のないもので採用の限りでない、その他原判決には事実誤認を疑うべき事由は毫も存しないから論旨はいずれも理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に従い本件控訴を棄却すべく刑法第二十一条により当審における未決勾留日数中百日を本刑に算入することとし主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大野正太郎 裁判官 松村美佐男 裁判官 蓮見重治)

弁護人片山昇の控訴趣意

原判決は事実誤認に基くものにして当然破棄を免れない。即ち検察官の立証せんとせし事実は 第一、浅野清子が死体となつて満願寺境内墓地より発見された事実、第二、死因は頸部絞扼による窒息であり死亡時は昭和二十六年一月二十一日夜間である事実、第三、死亡直後に姦淫されたと認められる事実、第四、被告人の所為と認められる事実、(1) 被告人が清子と一月二十一日午後九時三十分頃ダンスホールから一緒に満願寺に同行し関係したと認められる事実、(2) 被告人が浅野清子と関係直後午後十時四十分頃市電花京院停留所から乗車し午後十一時五分頃帰宅したと認められる事実、(3) 被告人は本件犯行約一ケ月前頃ダンスホールで知合つた鈴木洋子を本件犯行場所に誘ひ強姦仕様とし未遂に終つた事実、(4) 警察及検察庁に於ける取調べ状況によりても被告人の犯行と認められる事実、と謂ふのであるが検察官の立証せんとする事実中第一乃至第三の事実は争はない。之れは只当然の事実を只申立てるに過ぎない。第四の事実においては大いなる疑問と非難とがある。そしてこれが本件のポイントである事実相違の点と事実誤認の根本を形成するものと謂はれる。

即ち被告人が昭和二十六年一月二十一日午後九時三十分頃蘇洲ダンスホールから相携えて満願寺に同行し情交関係を結んだ事は全然争ひなき事実である。又被告人が情交関係後午後十時四十分頃市電花京院停留所から乗車し午後十一時五分頃帰宅した事も真実であるが併し被告人が浅野清子と合意情交の上態々花京院の停留所より乗車し清子方に送り届ける事実を立証解決し得ない事、又被告人のみが花京院から乗車した事丈けを掲げてゐるのは被告人の供述を殊更らに曲折せるものであつて独断により認定したるを失はない。釈然たる証拠を掲示せざる事は本件の最も非難さるる点であり又疑問とするところであつて本件犯人として起訴され判決された細川清三は断じて訴追せられ刑責を負ふべきものではない。若し夫れ斯くの如き事案に於いて真犯人を追及捜査し得ずして微かなる想像的、独断的判断によりて細川清三を真犯人として刑責を負はしむるに至るとなれば真犯人が必らず発見せらるべき事を確信する、被告弁護人は其結果真におそるべきものがあると断定する。検察官の主張する鈴木洋子を本件現場に誘ひ強姦未遂に終りたるが如き事実は本件の何と関係ありや、仮りに有之とするも被告人が本件の犯人と断ずる何の証拠となるか、斯くの如き事実は細川清三が真犯人たる証左明白なる場合における情状の事実なる事は争はないが其他に何等採証の値ひはない。浅野清子には幾多の情夫あり恋の三角関係若しくは複雑関係より全く細川清三以外の者の所為であつた本件にありて其捜査拙劣なるために無辜の細川清三に罪責を負はしむることは裁判、検察の威信全く地に墜ち却つて公安の保持に危惧の念を抱かしむるより他に何等の値ひはない。警察官、検察官の取調状況の如何なりしものかは吾人の関知するところではない。若し夫れ斯くの如き主張が公判中心主義の現行刑事訴訟法上主張し得るとするならば弁護人が主張する事実によりても被告人が犯人に非ざる事実明白なりと謂ひ得るであらう。

要するに証拠はピタリと来るものでないと犯責を負はしむるに足る価値はない。想像とか予断、予測を採り上げて断罪の資料とすることは厳に警むべきである。本件は更らに十分な審理を必要とする案件であつて人違ひなることを確信する。

原判決は事実誤認の甚だしきものにして破棄を免れない。

尚ほ現場検証調書、鑑定書につき又証人の各証言につき悉くこれを反駁して被告人の他に真犯人の存在すること及び本件が被告人の所為に非ざる事実を更らに追加趣意書及弁論において賢明なる裁判官各位に訴えんとするものである。

弁護人渡辺大司の控訴趣意

第一点、原判決は証拠能力のない検証調書によつて事実を認定した違法がある。

原判決はその理由において被告人の強姦致死の事実を判示し、証拠として「検察官作成の検証調書中被告人の供述記載部分」を採用して右事実を認定している、しかし原審記録を仔細に検討すると第一回公判調書で検察官は立証において(1) 乃至(9) 省略 (10)検察官作成の検証調書一通(記録第一一丁) (11)以下省略 の各書面の証拠調を請求している。裁判長は弁護人に対し右検察官請求の(1) 乃至(16)及び(18)の各書面を証拠とすることについて同意するかどうかを問い証拠調べについて意見を求めたところ主任弁護人は検察官請求の前掲書面中……略……検察官作成の検証調書中第二項記載部分(被告人の指示供述記載部分)を証拠とすることは同意しない旨、同意しない部分の証拠調べは相当でないと述べ(記録第一三丁)裁判長は合議の上、検察官請求の前掲各証拠のうち相手方が証拠とすることに同意した書面及び検察官作成の検証調書は第二項の記載を除き其の余の部分について証拠調をなす旨決定を宣した上これを除く其の他について決定を留保する旨を告げた(記録第一三丁)とあり、第四回公判調書によると、裁判長は合議の上検察官作成の検証調書中第二項の記載について証拠調を為す旨及びその他の証拠請求はいずれもこれを却下する旨の決定を宣した上……略……右検証調書第二項の記載は自らこれを朗読した(記録第五五七丁)とあつて被告人、弁護人が同意しない右の検察官作成の検証調書第二項の証拠調を為し原判決は前記の如く証拠として採用しているのである。

刑事訴訟法第三二一条第三項によると検察官、検察事務官又は司法警察職員の検証の結果を記載した書面はその供述者が公判期日において証人として尋問を受けその真正に作成されたものであることを供述したときに限り証拠とすることができるとあつて検察官作成の検証調書は被告人又は弁護人の同意がない限りその検証をしたものを証人として尋問してその真正に作成されたものであることを確かめたときにのみ証拠能力を有するものであることは明かである。然るに原審は被告人、弁護人の同意がないのに検証をした検事を証人として換問することなく採証したのは証拠能力なき検証調書の証拠調をなし原判決はそれによつて事実を認定したのであるから、証拠能力のない検証調書によつて事実を認定した違法があると信じる。

第二点、原審は証拠能力のない供述調書を証拠とした違法がある。刑事訴訟法第三一九条第一項は任意性のない自白は証拠能力がないものと定め、第三二二条も被告人の供述を録取した書面は任意にされたものでないときは証拠能力がないものと定め第三二五条は供述が任意にされたものか、どうかを調査した後でなければこれを証拠とすることができない旨決定して供述の任意性を証拠能力の要件としたものと解せられる。しかも第三二六条の同意があつても任意性なき供述はこれを証拠とすることができないものと解せられている。これ等の規定は一面において憲法第三八条の規定する基本的人権を保証せんとするものであるとともに他面においては任意性のない供述は結局真実性に乏しいということに基くものと思料するが更に刑事訴訟法第三一九条、第三二二条は任意にされたものでないとの疑があると認めるときはそれで証拠能力がないものと規定されている。

然るに原審はその記録を精査すると任意にされたものでない、少なくともその疑があり又真実に乏しい被告人の司法警察員に対する第三、四、五回供述調書及び検察官に対する第一回供述調書を被告人及び弁護人の同意がないのに証拠として採用して証拠調をなしている。成程前記の供述調書は黙秘権を告知し、読聞けして被告人の署名押印はあるが、次の諸点より如何に任意性がなく如何に真実に乏しい供述であるかが明白である。即ち、

第一に被告人の警察署、検察庁、裁判所における供述の状態である。被告人は司法警察員に対する昭和二十六年一月二十二日の第一回供述は被害者との関係を認めて強姦殺人を否定し、一月二十三日の第三回供述と一月二十四日の第四回供述は強姦殺人を認め、検察官に対する一月二十五日の供述は強姦殺人を否定し裁判官に対する一月二十五日の供述同様に否定し司法警察員に対する二月一日の第五回供述は前記の如く強姦殺人を認め、同日検察官に対する供述で同様に認め、更に二月十一日の仙台家庭裁判所の審判において強姦殺人を否定し原審において終始否定している。

第二に供述調書の内容である。(1) 司法警察員に対する第三回供述で始めて被告人が強姦殺人を自白しているが、その調書の冒頭の書き出しが「私が只今読み聞かされた犯罪事実の通り浅野清子当十七年を殺してしまつたことは真実でありまして何んとも申訳ないことを致しました、清子に対してはお詫びのしようもないのでそのとき私は死のうと考へました、そのときの模様を正直に次に申し上げます云々」(記録第四五三丁)と強姦殺人を自白しておるが、この調書で被告人が始めて強姦殺人のことを話したのであるが、話しの始めに被告人が、この供述調書の作成者か或はその立会人かに、浅野清子を強姦して殺した、筋書か何かを読んで聞かされてそれに基いて自白しているのである。その読み聞かせたものか何んであるか原審記録では不明である。(2) 原判決は理由において「左手で清子の青色リボン(証第一号)を頭髪から外して同女の頸部に巻き両手でその両端を持ち云々」と判示しているが、このテープ(青色リボン)について被告人は司法警察員及び検察官に対して、(イ)、「尚も呼ぶので私は清子が頭に巻いていたテープを解いて女の首に巻いて云々」(記録第四五九丁)、「清子のテープは頭に巻いて居り右後頭部に結んであつたのを私が解いてそれを女の頸に廻して云々」(記録第四五九丁)と供述し更に屍体を運んだ後に「清子がかぶつていた花模様のネツカチーフを解いて屍体の顔に広げてかけてやりました云々」(記録第四六一丁)「まだ頭にかぶつていたネツカチーフを外して顔にかけてやりました云々」(記録第四九八丁)(ロ)、「テープを女の頸に廻して両手で締めたのでありますが、テープの交叉点は左前頸部の辺であつたと思います」(記録第四五九丁)、「そのテープは清子のオーバーの前を合せるとき清子のオーバーのポケツト(左側のポケツトと思う)に入れたのであります」(記録第四六一丁)、「巻いた情状を今考へて見ますと清子の頭の右から出たテープの端が上で左から出た端が下であつた様に思います」(記録第四七三丁)「テープの交叉点は前頸部の真中より少し左のところであつたと思います」(記録第四七三丁)、「このテープは死体を運んだ後に清子の頸から取り除して同女のオーバーの左ポケツトに入れて置いたのであります」(記録第四七七丁)、「テープをしめる際清子の手は私の肘で動けないようにおさえつけ両端の手は左手が上になり右手が下になるという具合にしたのです」(記録第四九七丁)。(3) 屍体を置いた現場附近及び屍体の状態についての供述である、「調度その墓には三方生垣の杉の木の様な木が茂つていたので墓に向つて右側の木の下に云々」(記録第四七五丁)、「頭を西に両足を東に延して置き手は自然にして置きました」(記録四六〇丁)、「死体を置いてから左の靴がないことに気がついたので情交の現場迄さがして行くと現場にあつたので靴を持つて来て清子の左足にはかせてやりました云々」(記録第四六一丁)、「死体の両足は少し開いていたので合せてやらうと思いましたが片方の足が、何かに引かゝつて合なかつたのでその侭にして置きました」(記録第四六二丁)「死体を置いてから顔を見ると月明で口の辺に血がついている様に思われたところベツトリした血がついたのであります、それで再び雪を握つて血を拭きとりその後で私の手で口の辺をすつかり拭き取つてやつたのであります」(記録第四六二丁)、「死体を置いてから口のあたりの血を拭いてやりましたが、そのとき清子が口を半開にして舌の前を少し出していたので舌をカンダのがわかつたのであります」(記録第四七五、四七六丁)、と供述している。第三に供述の強制又は誘導である。第二回公判調書における裁判長の被告人尋問中、問 略 答 警察で責められましたのでうそのことを言いました、僕を責めるので言つたので、七、八人で僕を囲んで毎日毎晩七時頃から十一時頃まで調べるのです、僕がなんと言えばいゝのか、僕のいうことを教えるように言うので僕は唯「はいはい」と言つたのです。問 検察庁でもそうであつたか、答 検事さんの取調べのときはそんなことはありませんでした。問 検事には責められなかつたのか、答 責められません、問 けれどもうそを言つたのか、答 そうです、問 どうしてうそを言つたのか、答 検事さんの最初の取調べのとき僕は「殺した」といいました、二回目のとき「殺さない」と本当のことをいつたのです、そしたらその晩書類と共に北署に戻されて又責められたのです、それで僕は検事さんにも警察で述べたと同じように言わなければ又警察に戻されると思つてそれからは「殺した」と言つてきたのです(記録第二三七丁)、第五回公判調書における証人斎藤利吉に対する被告人の問中、「自白するとき二人で調べた」と申しておりますけれどもその時は確かに七人おりました、そして証人は私の頭の毛を引張つたりしました――略……私は夜の十二時まで調べられたこともあります(記録第五九九丁)、又裁判長の被告に対する尋問中、大きい部屋で七人の人が交互に調べました「血が附いていてもそういうのか」と言われたりしました(記録第五九九丁)、あまりせめるので「殺した」というと「どうして殺した」というので僕はだまつていました、すると「手で締めたのか」というので「そうだ」というと「それ位で死ぬか」というので僕はだまつていました、すると、「ヒモで締めたのでないか」というので「はい」とこんなぐあいで「何処で殺した」「墓だらう」「はい」という様に僕はただはい、はいと述べた丈です(記録第六一五丁)、逮捕されたその晩から十二時頃まで調べられた、警察で七、八回調べられた、毎日で間をおかない、調べたのは夜だけである。七人に調べられた、頭の毛を引張られた、あまりせめるので僕は死んでも良いと思いました「殺してくれ」とも言つた程である旨(記録第六一三、六一四丁)述べている。又検察官自身もその論旨中で、警察の自白についてもただ誘導されて自白したもので拷問等がなかつたことはこれまた被告人の認むるところである云々(記録第六二九丁)と述べている。

以上右第一の如く警察で否認し、そして自白し、検察庁で否認し裁判所で否認し、そして又警察で自白し、検察庁で自白し、家庭裁判所で否認し原審で終始否認している。勿論否認し、自白し又否認していると謂うことでその自白が必ずしも任意性がないとは一概に云えないが併し少なくとも任意性なき疑はあると信じる。又真実性に極めて乏しいものであると思料する。

又第二の(1) の如く、始めて自白した調書において何か殺人強姦についての筋書でも読み聞かせられて自白しているし、(ロ)の如く犯行は夜の九時三十分過であり、被害者が頭にネツカチーフをかぶつていたことが明白であるし、しかも情交をしながらそのネツカチーフの下から被害者が頭に巻いていたテープを解いて女の首に巻きつけ、その巻いたときの情状は清子の頭の右から出たテープの端が上で左から出た端が下であつた、テープの交叉点は前頸部の真中より少し左のところであつたと、まことに微に入り細に亘つて述べているが、全くこの点は、後で試験されるため意識しながら実演したとしても記憶しておられないところであり又他面如何に矛盾にみちた供述であるかを如実に物語つている。更に亦「私はことのあまりに重大さにびつくりしてどうしたらよいかと思い余つて自分も死のうと考へた程でありました」(記録四六三丁)「屍体を運んで考へたとき、どうして自分がこんなことをしたのか自分の心がわからなくなつて暫く泣きました」(記録第四八一丁)と述べているような状態であつた被告人がどうして(3) の如く屍体をおいた墓が三方生垣であつたとか、頭を西にして足は東に延して手は自然においたとか、死体の左靴がないことがわかつて探ねてはかせたとか、両足は少し開いていたので合せようと思つたが片方の足が、何かに引きかかつて合なかつたのでそのまゝにしておいたとか、死体の口は開いていて舌を出していたとかと謂うことが仮令被告人が見ていたとしても記憶にとゞめておくことができるものであらうか、右の(2) (3) の点は全く司法警察員作成の検証調書や、捜査報告の記載に一致するものであつて、しかも検証調書や捜査報告書作成後に被告人の供述がなされている点、特に司法警察員作成の写真撮影報告書中の三葉の写真を見ると足が木に引かゝつている点、屍体の位置の点、現場附近の点等は全く取調官の作為によつて引き出された供述であることが極めて明白であると信ずる。

亦第三の如く被告人が、その供述は強制又は誘導であつたことを述べているばかりでなく、この供述により前記第二の(1) の如く何か種本を読み聞かせられて供述したことも肯定されるし又この裏付として司法警察員に対する第五回供述調書の冒頭で「私は前回警察の御調べに対して申上げたことが真実でありまして一月二十五日検事さんの御調べに対しては嘘言をいつてすまなかつたと後悔しています」(記録第四八一丁)と述べていることからも充分に推測し得るものがある。他面被告人は検事には責められなかつたと述べ、検察官もその論告中で検察官は自白を強制しなかつたことを強調しているが、この点、仮に強制拷問はなかつたとしてもしかし往々にして警察官に対する不実の自白が因となつて検察官に対しても従前の供述をその侭に繰返すことがあり、殊に小心な被告人中にはこの実例が多いこと、又検察官の面前における被告人の尋問は形式的には何等の強制拷問も加えられることのない自由なものであつても実際上のその自由は検察官の面前で尋問が行れている時間だけであつて一度その尋問が終らば被告人は司法警察員の手に帰るのであるというような雰囲気そのものは、しばしば被告人に大きな心理的影響を与へるものであることを考へねばならない。この点については前記第三の如く「検事さんの最初の取調べのとき僕は「殺した」といいました二回目のとき「殺さない」と本当のことをいつたのです、そしたらその晩書類とともに北署に戻されて又責められたのでありますそれで僕は検事さんにも警察で述べたと同じように言わなければ又警察に戻されると思つてそれから「殺した」と言つてきたのです」(記録第二三七丁)と述べ又前記の司法警察員に対する第五回供述調書の如く、「私は前に警察の御取調べに対して申上げたことが真実でありまして一月二十五日検事さんの御調べに対して嘘言をいつてすまなかつたと後悔しています」(記録第四八〇丁)と述べ同日に検察官に対して自供していることより見ても明かである。よつて検察官に対する供述が形式的には自由であつても実質的には右述のように強制威迫があるものと信じる。

次に被告人は被害者浅野清子の死に対して最も疑はれる立場にあつた。即ち蘇洲ダンスホールを九時半頃一所に出ている。このことは証人高橋とみ等の証言によつて明かである。又屍体現場と余り難れない場所で同女との関係を認めている。市電の中で吉田証人と逢つている。一度被害者宅まで送り届けた被害者が何故か又関係した満願寺境内に屍体となつていることを他の証拠で証明することができない。このように自己の刑事責任をどうしても認めずにいられないような事情の下に自白がなされた場合はその自白の内容が仮令真実であらうが、なからうが、それのみによつてその自白が任意性なきものであると謂うことは学説のひとしく強調するところである。

右述より見るに原審が証拠として採用した司法警察員に対する被告人の第三、四、五回供述調書及び検察官に対する第一回供述調書が検証調書や捜査報告書にあてはめるために強制追究して如何に矛盾にみちた真実に乏しいものであるかを窺知することができるのである。

前述の如く憲法第三八条刑事訴訟法第三一九条、第三二二条により強制によるものは勿論任意性なきもの否任意性なき疑あるものはすべて証拠能力がないのに拘らず、原審は漫然と右の任意性なき又は任意性なき疑のある供述調書を証拠として採用した違法があると信じる。

第三点、原審は証拠能力のない録音テープを証拠とした違法がある。原審記録第二回公判調書によると検察官は検察官及び司法警察員に対する被告人の供述録音テープ全一体の証拠調を請求した上(記録第二三一丁)尚録音テープがあるが、中一部は当職の被告人に対する質問及びそれに対する供述を録音したものであり、中一部は司法警察官の被告人に対する質問及びこれに対する供述を録音したものであつて、いずれも被告人の自白を内容としている。尚右警察員は仙台市北警察署勤務司法警察員警部補斎藤清八である旨述べている(記録第二三二丁)。

これに対して主任弁護人は検察官請求中の録音テープを証拠とすることに同意しない。録音テープの証拠調は相当でないと思料する。被告人の各供述調書及び弁解録取調書の内容たる被告人の供述は任意性がなく又録音テープについては被告人側に於いてその証拠能力なしということに意見の一致を見ているのでそれぞれの意味においていずれも証拠とすることに同意しない旨(記録第二三四丁)述べている。

裁判長は合議の上、決定留保中の録音テープ中先つ検察官の被告人に対する質問及びそれに対する供述録音につき被告人の供述調書の任意性を確めることも兼ねて証拠調を為す旨の決定を為した上右録音を再生聴取した(記録第二三九丁)とあつて被告人及び弁護人が同意しない検察官に対する供述を録音したテープを独立証拠として証拠調をなした。然しこの録音テープは次に述べるように独立の証拠能力を有しないものと思料する。即ち、先つ第一に被告人の供述を録音したテープが証拠物であるか、証拠書類であるかについては異論のあるところであらうが、本件の場合は証拠物ではないと信じる。何んとなれば若し斯のように裁判外で秘密裡に、しかも犯行後に被告人の自供を録音にしたものが、証拠物であるとしたら、証拠物については、証拠能力の制限を加へないで、被告人の裁判外の自白調書の証拠能力について厳重なる制限を加へて原則として証拠能力を認めない建前をとつている我が刑事訴訟法のもとにあつては、この点を規定する法の精神及び諸原則の大半を無意義にするものであるからである。又一方本件録音テープが証拠書類であるかについては、若し仮りに証拠書類としたら、刑事訴訟法のどの条項に該当するものであるかが問題である。原審記録第二回公判調書中の検察官の証拠申請の状況及び裁判長の記録第二三八丁の被告人尋問等より原審は刑事訴訟法第三二二条の規定の趣旨に準じて証拠能力ありと断定したことが推測される。然しこの録音テープなるものを仔細に検討するに、要するにこの録音テープは「提出者である検察官が裁判官に向つて被告人はこの録音に収めたような供述を自分に対してしました」ということを供述するのと異なるところがないのであると思料するから、結局はこの録音テープも刑事訴訟法第三二〇条の所謂伝聞であると信じる。同条によつて伝聞は原則として証拠能力を有しないが、しかしこれには幾多の例外があつて刑事訴訟法第三二二条もその例外の一つであることは争いはないが例外として許容されるのは何か許すだけの理由を具備しているからである、この第三二二条の被告人供述が第三二〇条の例外として許される条件はその供述の任意性が担保されていることにある、そしてその任意性の担保は黙秘権の告知及調書の読聞け、並に署名押印の手続であると解せられている。他面黙秘権の告知、署名押印ある場合は該供述の任意性を推測させる事由ともなる。よつて署名押印黙秘権の告知なき供述は第三二二条により証拠能力を有するものではないことになる。しかも第三二二条は書面であつて書面以外のものは同条の予測するところではない。更に刑事訴訟法第三二二条は前記の如く例外的規定であるからその適用は厳格慎重を期すべきものである。

以上より勘案するも被告人の供述を録音したテープは全く証拠能力を有しないものと信じる。然るに原審は録音の対話者が誰が、どのような場所で何時録音したものか、誰が作成したものであるかすら調査することなく漫然と被告人、弁護人の同意なき録音テープを証拠として採用したのは証拠能力なきものを証拠とした違法がある。

第四点、原審は証拠能力のない検証調書を証拠とした違法がある。

原審記録第一回公判調書によると検察官は、検察官作成の検証調書一通の証拠調を請求し(記録第一一丁)主任弁護人は検察官作成の検証調書中第二項記載部分(被告人の指示供述記載部分)を証拠とすることには同意しない旨、同意しない部分の証拠調べは相当でない旨の意見を述べ(記録第一三丁)、裁判長は合議の上検察官作成の検証調書は第二項の記載を除き其の余の部分について証拠調を為す旨決定を宣した上、これを除く其の他については決定を留保する旨を告げて証拠調を為した(記録第一三丁)。更に第四回公判調書によると裁判長は合議の上、検察官作成の検証調書中第二項の記載について証拠調を為す旨及びその他の証拠請求はいずれもこれを却下する旨の決定を宣した上、右第二項の記載を自らこれを朗読した(記録第五五七丁)とあつて原審は、弁護人及び被告人が同意しない検察官作成の検証調書中の第二項の記載を証拠としたことが明かである。

刑事訴訟法第三二一条第三項によると検察官の検証の結果を記載した書面はその供述者が公判期日において証人として尋問を受けその真正に作成されたものであることを供述したときにのみこれを証拠とすることができる旨規定しているに拘らず原審は被告人弁護人の同意もないのに前記検証調書の第二項の部分をその検証をした者が証人として尋問せられることなく証拠として採用したのであるから原審は証拠能力ない検証調書を証拠とした違法があると信じる。又或は原審が前記第二項の部分は被告人の自供部分であるから刑事訴訟法第三二二条により採用したものであるかも知れないが、しかし若し原審がこの見解に基くとすれば、成程第二項の内容は被告人に不利益な事実の承認であり、被告人の署名押印にあるから一応考へられるところであるが、この調書では黙秘権を告知していないし、又他の証拠によつてこの任意性を立証していないのであるから、右の見解は刑事訴訟法第三二二条第一項後段を全然無視したものであるし、亦、この部分(前記二項)は検察官が検証の結果を記載した書面の内容の一部であつて、他の部分と一体となつて所謂検証調書をなすもので、右第二項のみが独立した意義を有するものではないから、この部分だけを第三二二条の取扱を為すことは出来ないものと信じる。

第五点、原判決は証拠によらずして事実を認定した違法があるか、又は予断偏見による鑑定によつて事実を認定した違法がある。原判決はその理由において被告人は浅野清子の頸部を絞扼してその抵抗を抑圧した上姦淫を遂げ因つて同女をその場で右絞頸により窒息死亡させたものである旨を判示して、証拠として、証人村上次男の当公廷における供述、村上次男作成の鑑定書四通、証拠物証第一乃至第九号(其の他は略)を採用している。然し原審記録を仔細に検討するに、右掲の昭和二十六年三月三十日附村上次男の鑑定の結果によると、指示された物品中血液の存在を証明し得たのは、ズボンの右前時計ポケツトの下の処を中心として散在する小さな点状の多数の斑点である。左前にある外観上同一性の汚斑も同様に血液を含むであらうと推測される。立証し得た血液につき更に人血液か否か血液型はどうか等を吟味し得ず浅野清子のものと同一かどうか知ることが出来なかつた旨(記録第三九八丁)、更に白キヤラコ製猿又、卵色丸エリシヤツ、灰色毛のズボン下、鼠ダブル上衣、(背広)、グリンズボンには各々黄褐色の汚斑が附着している旨、これ等の附着する黄褐色の汚斑に関する検査の結果は、検査成績から考へると黄褐色なる外観、粉状のものが塊をなすこと、筋線維の消化し残されたものの見られること等に於て先に「浅野清子の衣類等に関する鑑定書」の検査記録第二一項29に述べた被害者のオーバー裏の汚斑A2の性質に酷似する……略……之等の汚斑も糞便を含むと考へられる旨、以上述べた成文の上からと又その位置を考へた次のことから細川清三の衣類のこゝに述べた汚斑に検出し得たものは糞便の成分であり浅野清子のオーバーの汚斑A2と同じ糞便であると考ふべきであると考へるのである旨述べている(記録第三九三丁)。更に同人の同年三月二十五日附の鑑定書によると、オーバーの裏の汚斑A2には人の糞便が含まれると考へられるとある(記録第四二四丁)。そして証人村上次男の証言によると、検察官の証第二号(被害者オーバー)証第三号(被告人ズボン)等にそれぞれの部位に糞便が附着しているが、その附着の情況等についての問に対して、質問が非常に微妙でありますが、つまり私が二つの証拠物件の附着物が同一物であると認めたことについてはそれに先行する多くの前提があるのです。性質が似ていて男と女が一緒にいたと云うように前提があるものですから、私は鑑定の結果同一物なりと認めたのです云々と(記録第三〇四丁)そしてその前提として女を絞頸し、その直前か、直後に情交したことを先行条件としての鑑定が成立したものである旨を述べている。

以上より勘案すると村上次男の証言及び鑑定書四通は一つの前提条件があつて成立していること、しかもその前提条件が某男と浅野清子が性交した事実情交直前か直後に誰が同女の頸部を絞扼した事実であることが明白であるから、この村上鑑定人の鑑定は既に被告人が浅野と性交し、性交直前又は直後に同女の頸部を絞扼したものであつてそのとき被告人が着用していた衣類であることを前提として、即ち斯のような予断、偏見をもつてなしたものであると謂うべきである。又前掲の証第二乃至第九号の物証も右の事実を前提条件として始めて証拠価値があるものであることも明かである。然るに原判決は右の前提条件である「某男」「誰か」の認定に右を前提条件として得たる結果である鑑定書等を掲げたのみにて、「某男」「誰か」が被告人であると謂うことの証拠を挙げていない。結局犯人は被告人であることの事実を証拠によらずして認定したが、予断、偏見に立つて鑑定した結果によつて事実を認定した違法があると思料する。

被告人の控訴趣意

私は温き両親の許に育てられて来ましたが十九年間と言うもの今日迄に強姦致死被告事件と云うものには絶対関係有りません。無関係であり無実で有ります、亦今迄に於て此の様な事は夢にも考へた事がなく本当に身に覚えも無く思ひも寄らぬ事であります、其れを私が犯したかの様になつて五年乃至十年と云う刑が言渡されて居りますので私は次に当時の事実の行動を申し上げるもので有ります。

私は今年の一月二十一日は朝八時頃家を出て榴ケ岡小学校へ建築仕事の為めに行きましたが働いて居る内に急に雪が降つて来ましたので仕事をしてゐた人達と相談し休む事になりました、すると南松竹映画館で地獄の決闘をやつていると云うので見に行かうと云う事になつたのでありますがたまたまお金を持つて居りませんので阿部と云う人が兄さんの処に行つて三百円借りて来たので河口と阿部と私の三人が各々百円宛を分け南松竹へ三人で行く事になつたのであります、私達はそれでいつたん家に帰り私は服を着かへ母に七十円貰つて行きました、映画館に行つたのは三時頃で地獄の決闘を見て終つたのは五時一寸前頃でありました、其して私は其処で七十円を使ひ三人で東一番丁を通つて寺小路の角の処迄行き私は其処で二人に別れてダンスホール蘇洲に行つたのであります、その時に五時半頃で百円で入場券を買ひ入つたのです、それに付ては去る十四日の日に浅野清子とダンスホールへ行く約束をしていたからで先づ私は行つてから最初にオーバを荷物預り所に預け浅野清子と踊りました、そして約一時間位踊つてから少し休んでいると、学校時代の同級生であつた赤間徳雄と庄司秀雄が来て赤間から酒を一緒に呑みに行くから五十円都合して呉れと言われたのであります、私はそれでお金を持つていないので以前にホールで百円を庄司に貸して置いた事が有りますので五十円都合して貰ひ三人で酒屋へ行つたのであります、其の折酒屋から高田焼酎四合瓶一本買ひ求め持ち帰つてホールの中の手洗場で三人で飲んだのであります、それから私は焼酎は一本百四拾円であつたので拾円余つているので帰りの電車賃にと借りて直ぐ別れて浅野清子と最後迄踊つてゐたのであります、ホールが終つたのは九時半頃で其の後の私は直ぐ荷物預り所へ行つてオーバを受取り外に出たのです、外へ出ると浅野がネツカチーフをかぶるから化粧箱を持つていて呉れと頼まれ私はオーバの左のポケツトに入れて持つて居りました、其して二人で花京院の角から白百合学院の西側の道路を半丁位下り右側に細い路があるので其の処を一間位這入ると其処の向側の方に二十一才位の男がゐたので入口で二人で二三分位立止りよそ見している内に其の男が居なくなつたので二人で五六間中に這入り右側に石段があるので其処を上つたのであります、其して私は直ぐに左側で着てゐたオーバを脱ぎ其れを敷いて女を臥かせ、関係したのでありますが私は去る十四日にも浅野清子と関係してゐたので女の方では別に拒みは致しませんでした、其テーら私は関係が終つてから女のネツカチーフが斜めに曲つていたので直してやりましたが其の時に浅野が髪の毛をしばるれかプをしていると家の方で喧しいから取つて呉れと言うのでテープを取つて化粧箱と一緒にポケツトに入れて持つてゐたのです、其の後元来た道を逆戻りして白百合学院の角花京院の所迄来ると浅野が十円寄越しましたので二十円で電車のキツプ三枚を求め花京院から二人で乗つたのであります、恰度其の頃は大体の時間は十時頃で私達はそれから東六番丁で降りたのでありますと言うのは東六番丁と車通りの間にある電車の鉄橋を修理中でありましたので電車は其の処を通れませんでしたので乗り換へる為めでありました、それで私は車通り迄歩く為め鉄橋の脇の橋を渡つて恰度なかば迄行つた時車通りの停車場が見え電車が来ているので私は浅野に走れと言つた処浅野は私に先に行つて電車を待たして置いて呉れと言うので私は先に行つて電車を待たして置いたので有ります、其の後浅野と共に二人で電車に乗つてから私は車掌に県庁廻りの最終は何時頃かと聴いた処十時四十五分である事を教えてくれ、私達は二人で弓の町で降りたのであります電車から降りてから小田原と云う街を通つて仙山線の踏切を渡つた処で私は女に化粧箱とテープを渡し亦今度の日曜日に来る様に言つたのです、すると浅野は行くからと言つて返事をし化粧箱とテープを受取つて左のポケツトに蔵つた様でした、其して私は浅野に別れて帰らうとした時に後の踏切の辺りから二十一二才の黒いオーバを着た男がひよつこり出で来て私に突き当る様にすれすれになつて来たので、私はそれを避けて後も振り返らずに逆戻りして元来た道を急ぎ弓の町の停留所迄来ました、其して其処で二三分間電車を待つたのでありますが電車がなかなか来ないので国立病院前と云う停留所迄歩きました、すると電車が来たので其処で待つて乗つたのであります、其れから車通りで降り乗り換へて東六番丁で電車に乗り花京院で降りたのであります。其の後再び県庁廻の電車に乗つたのでありますが其の電車は最終で十時四十五分でありました、私が其の電車に乗つた処私の家の近所の吉田秀子と言う人が乗つてゐたので二人で北四番丁迄乗つて行き其処で降りて私達二人は話し乍ら北六番丁迄行き其の人の家が北六番丁であるので其処で別れて私は北七番丁の私の家迄帰つた訳であります、私は家に帰つてから食事を取つたのでありますが其の御飯を喰べている時十一時の時計が鳴つたので其の後就寝致した次第です。

以上が私の一月二十一日の真実の行動でありまして今迄申し述べた様に私は一月二十一日に起きました強姦致死被告事件とは全く無関係の身であります、女と関係はしましたが全く強姦致死等と言う事は私の身に覚えのない事であり思ひも寄らぬ事なのであります、依つて裁判長殿には賢明なる御裁下の許で何卒私の身の潔白なる事を信じて頂き度く宜しく公正な御判決下さいます事を心から御願ひするものであります。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例